希望の光

四方八方を壁で塞がれ、暗闇の中をもがく僕に、新しい広い世界への道しるべを示してくれた。

「学校へは来なさい、それが君の義務だから。しかしクラスへは行かなくていい。」
「君の居場所はここにある」
そう言って「校長室」を指さした。
その瞬間、僕の居場所は家でもクラスでもなく
「校長室」
となった。

教育者としての威厳

今考えても、恐らく校長先生の独断であったことは間違いなく、その場に居合わせた女性の教頭は、
「例外を認める訳にはいかない」
と即反対し、その語気はとても強かった。
上司の校長に対しての発言とは思えないほどに。
しかし校長先生は、
「私が決めたのですから、教頭は口を出さないでください。」
と一喝。
両親や担任、周りの全てに対して不信感を募らせていた僕は、校長先生のこの姿勢にただ泣くばかりだった。

学校へ復帰

翌日から僕は校長室へ登校した。
校長の独断に対して、他の先生方でも、批判的な立場の方は多かったようで、廊下ですれ違う僕に、
「いつまでそんなこと続けるの?」
「君が校長室に登校してる問題の子ね」
「意志が弱くて甘えているだけでしょ。早くクラスに戻りなさい」
といった言葉や、僕を指さし、
「あの子がいじめにあって自分のクラスへ行けず、校長室に通っている子だよ。みんなもああならないようにちゃんとするんだよ。」
という言葉まで飛んでくる。
もはや学校内で、ちょっとした有名人である。

確かに意志は弱い、そして甘えもあった。
それでも10歳そこそこの僕には、自分で打開策を見出すことが出来なかった。

人は自分を認めてくれる人、そして自分の居場所を手にするととても強い。
校長室という居場所、そして校長先生という自分を認めてくれる人が出来た僕は、そんな小言にも、
「なんでこの先生はこんな事を言うのだろう?」
と客観的に聞き流せる程の度量がついた。

担任の先生はといえば、僕の元をあまり訪れることはなかった。
確か新任1,2年目の20代の若い先生。
自分の受け持った生徒が校長室預かりだなんて、教師のプライドとして、いたたまれないことであったのかもしれない。

「責任」の二文字

教頭はその後も校長室を訪れる度に、僕と校長先生に小言を言う。
この教頭は、校長のこの判断が余程気に入らないらしい。
「いつまでこんなことを続けるんですか」
「あの子のためにもならないですよ」
相変わらず語気が非常に強い。
しかし校長先生は
「私の判断です。責任は私が取りますので、口を出さないでください。」
堂々と切り返す。
教頭が部屋を去った後、
「ごめんなさい」
と謝る僕に
「教頭先生には教頭先生なりの立場があります。あなたは気にしなくて良いのです。」
「学校へ来ることはあなたの義務です。」
「しかしそれはクラスでも校長室でも同じことです。あなたは自分の義務を果たしてください。」
そう言ってまた机の書類に目を落とします。

今思えば、あの時校長先生が教頭に対して口にした
「責任」の二文字。
この二文字の重さは、当時10歳そこそこの僕が思っていたよりも、遥かに重いものだったのかもしれません。

僕の社会性の起源って恐らくここだと思います。
校長先生という素晴らしい教育者に出会えたこと、そして大人の世界を垣間見たことが大きいと思います。
それでも毎日学校へ行くのが楽しみになったのだから、両親は元より自分自身が一番驚きである。
「たった1つのきっかけで人生は大きく変わる」
まさにその通りだ。

-つづく-

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